■小島晴則さんの帰国事業写真集への解題
「楽園」への憧れと悔恨-足もとから写し取った
北朝鮮帰国事業の生きた証言
高柳 俊男(法政大学国際文化学部教授)
自らが携わった新潟県在日朝鮮人帰国協力会発行のニュースを、『幻の祖国に旅立った人々-北朝鮮帰国事業の記録』(高木書房)としてまとめた小島晴則さんが、今度は手元にある帰国事業関連の写真を出版されるとのことで、途中の編集段階で見せていただいた。編むにしたがって思いが溢れ、今後も収録点数が増えそうな勢いで、いまだ全体像は見通せない。
しかし、見せていただいた範囲で言っても、一九五九年に始まった北朝鮮への帰国事業の様子を伝える貴重な写真に満ちており、類書なき資料集になることは間違いない。
具体的にどのような写真が含まれているかというと、朝鮮人集住地区における住民総出の帰国者の見送り、地域別や職能別に「帰国者集団」の幟を掲げて新潟に集まって来る人々、日本最後の数日間を過ごす新潟日赤センターでの生活、遺骨を抱いたり看護師に支えられたりしながらの帰国船への乗船、帰る側と送る側がともに目を潤ませながらの今生の別れ、輸送に当たるソ連船の船員や北朝鮮赤十字会の代表らとの交流、新潟のボトナム通りをはじめとする日朝友好親善を讃える各地の記念物、帰国協定延長を求めるその後の運動、等々である。
また著名な人物としては、帰国者では、新潟市公会堂で独唱する帰国直前の永田絃次郎(金永吉)や、韓国から密航してきた日本でマンホールの絵を描き続けた画家曺良奎などが、また見送りや交流などで駆けつけた人士としては、日赤の島津忠承社長や高木武三郎社会部長、自民党副幹事長で在日朝鮮人帰国協力会代表委員の小泉純也(純一郎元首相の父)、日本共産党議長の野坂参三、戦前からの社会活動家で日本社会党代議士の高津正道、在日朝鮮人帰国協力会幹事長の帆足計、日朝協会理事長の畑中政春、『38度線の北』(新日本出版社)を書いて多くの人に北朝鮮を好意的に印象づけた寺尾五郎、帰国事業を主題とした映画『海を渡る友情』を監督した女優の望月優子、映画で朝鮮人を好演した劇団民藝の北林谷栄、などがみえる。もちろん、在日朝鮮人側として、韓徳銖議長をはじめ、金達寿、許南麒などの文学者たちの姿もある。以下、略
まえがき 高柳 俊男(法政大学国際文化学部教授)
序章 帰国事業の実現をめざして
第一章 帰国者出発(昭和34年12月)
第一便の帰国列車品川駅出発
新潟駅到着
新潟からの帰国者 日赤センター入り
帰国第一船が入港 熱気が伝わる
希望と不安が交差して
世紀の第一次帰国船(乗船の帰国者)
見送りの人々の熱気が伝わる
(12月14日)――第一船出港―(「道」許南麟の詩)
第二章 帰国者の風景(昭和35年1月~)
不安そうな大勢の子供達の未来は?
祖国を結ぶ「握手!」
一世を風靡した永田絃次郎氏一家の帰国
ボトナム通りによせて
― 底辺の暮らしからの脱出を求めて ―
県立中央高校に「梅」、金和美さん
帰国者を訪ねて 岩本、帆足代表「訪朝」
雪の新潟、降りたつ帰国者
帰国に向けて新潟に集まった時々の風景
「岸壁の母」高橋栄子さん ― 雪の日も雨風の日も
第三章 帰国者(青年、婦人)と交流
第18船日朝青年友好祭
第42船日朝婦人交流、歓送迎会
女優、望月優子「海を渡る友情」
日・朝赤十字「新潟会談」
― 帰国協定延長 ―
第四章 帰国事業を忘れないために
「北鮮に帰る」曺良奎氏(画家)
曺浩平の帰国
張一家の帰国
「東大」職組 ― 帰国船訪問、交流(一九六〇・十一・三)
帰国「一周年」一九六〇・十二・十四、五万一千名が帰国
李季白所長の万才
日本人妻大原芳子さんの「ドラマ」
第五章 昭和三十六年、親善の様子
第55次、56次帰国者「日赤センター長期滞在」
全国から寄せられた慰問品
「その時まで」さようなら
中央高校生のリレー歓迎
「日本海」友好促進・「帰国者六万人」市街パレード
日朝親善のシンボル ボトナム通り
母校に咲く梅によせて
民族に目覚め帰国のみち―新潟は第二の故郷(64船)
第六章 帰国船に思いを寄せて
歳月は流水の如し、68船柳鳳さん
地上の楽園を夢見て―帰国者七万人をこえ
日朝親善の大交流会 笹が峰のつどい、帰国船員と交流会
第七章 帰国第一〇〇船を称えて
八・一五朝鮮解放15周年祝賀/第一一〇船記念
帰国協定延長のたたかい
帰国開始五周年/六周年(八万二千名)第一二〇船
― 社・共党首を迎え ―
大講演と映画の夕べ
文章編「帰国事業」あれこれ
言葉を奪われた「帰国者」たち
受け取りを拒否された青年平和像
帰国者からの手紙
帰国事業30周年・日朝友好新潟の船
北朝鮮へ帰国した日本人妻、夫の里帰り実現の訴え
丁子さんとの文通
北に消えた金和美 わが想い、わが悔い
作家金達寿さんと新潟で会う
帰国行方不明者の消息
新潟県出身帰国者(日本人妻を含む)名簿
資料 帰国事業忘れぬ人々と出来事
本書について
1959(昭和34)年12月14日、新潟港から北朝鮮に向けて帰国事業の第1船が船出した。「帰国」なのか「帰還」なのか。国交のない北朝鮮が相手だけに政治的に難しい問題があったが、「人道」の立場で帰国事業は進められた。その現場を撮影し続けた著者が、手持ちの写真を紹介しながら、その時々の思いを綴っている。地上の楽園を夢見た帰国者、そして日本人妻たち。しだいに帰国者から笑顔が消え、別れの波止場には声にならない絶叫があった。歴史の証言書である。
いったい帰国事業は何だったのか。北朝鮮と言えば、拉致問題が国家的、国民的問題として認識されている。しかし帰国事業で北朝鮮に渡った人達や日本人妻は、ほとんど忘れ去られている。地上の楽園のはずが、「助けて」という手紙が度々著者にも届いていた。日本人妻の一時帰国も実現していない。国家的にも、国民的にも決して忘れてはならない歴史の事実を記録にした一冊である。
小島晴則(こじま はるのり)
昭和6年(1931)新潟県生まれ。定時制高校中退。同25年(1950)共産党入党、共産党系出版物専門の書店勤務。同34年(1959)8月新潟県帰国協力会事務局(専従、のち事務局長。また日朝協会県連、同支部事務局長も兼務)。同39年(1964)7月、日朝友好青年使節団として訪朝。以後二回訪朝。平成9年(1997)1月より北朝鮮に拉致された横田めぐみさん等の救出運動。著書『幻の祖国に旅立った人々 北朝鮮帰国事業の記録』(高木書房)。